コラム
園芸が大好き!戦後の自給自足の経験を活かして
埼玉県 S・K
近くの園芸屋で見つけたインパチェンス、ポーチュラカ、ベゴニア。暑さなんて平気な苗ばかり。天日にさらしておいた土はすっかり消毒され、鹿沼土、ピートモスを適当に混ぜて土の出来上がり。苗もほっとした表情。水をやると生き生きとして、手足を伸ばしたようです。
50代終わり頃の話。
「青空もと、緑の中で、苗を植えたり差し木の仕事をしませんか、年齢不問」
というチラシが入ってきた。歩きで20分という距離で、働いてみようと思った。連れ合いにOKを頂く難関も潜り抜けた。
始めてみると、甘かった。やっていけるかしら。顧みれば、これが園芸の基本。今は助かっています。
作業は、古くなった苗をポットから取り出す。これがなかなかうまくいかない。きっちり着いて、離れない。四苦八苦して、周りの人のやり方を見ながら真似をする。するとあっさり取り出せた。
ハウスの中ではアマガエルがピョンと手に載ってくれ、和む。でも仕事なので手は休めない。
―終戦で青島から引き揚げた昭和20年。当時は食糧難でした。父親は帰るとすぐに畑に出て耕し、子供に食べさせてくれました。黙々と草取りをする父の姿を思い出します。
自給自足を余儀なくされた時代、父の姿はいきいきとしていた。子供達のお腹を満たそうという心意気を感じた。
畝のいくつかを指さして、
「これはそら豆、トマト、ナス、次々に収穫して食べられるよ」
と、子供たちを安心させてくれました―
この仕事は好きでなければ難しい。大変だなと思っていると、社長さんが
「なーに。1年続けたら、この繰り返しだから簡単」
とおっしゃる。本当に1年続けたら体も馴れた。トレーニングの賜だ。それからは周りに必死について行った。
この経験があって、私は園芸好きになった気がします。(老友新聞社)
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