コラム
2021年10月12日
「癒えぬ傷跡を見て」~本紙読者投稿より
我が部隊(戦車隊)は支那(現中国)の北京に駐屯しておりました。戦車及び車両の整備が続いていた8月の始め、敵(八路軍)の攻撃を受けました。
状況は悪化し、周囲の部落の民兵たちへ掃射作戦の命令が下り、部落の民兵たちと交戦となった。
私が部落へ突入した際、敵の仕掛けた地雷に接触し、爆発。破片によって左大腿部と右前腕軟部貫通の傷を受け、直ちに北京ワンフチン陸軍病院へと搬送され、入院となりました。
傷の治療と養生の日々を送っていると、8月15日の正午、病院長より、敗戦を知らされました。私はベッドの上で、悔しさと無念さで涙も出ませんでした。
私はその後も、苦しみに耐え、一日も早く中隊に復帰する努力をし、10月の始めにようやく退院の許可がおり、隊へと戻りました。
その後、長崎の佐世保港へ到着し、再び日本の土を踏むことが出来たことに、感無量で涙が止まりませんでした。横須賀の田浦町にある我が家に帰り着いた後は、敗戦の体験は良き教訓だと悟り、戦争で犠牲になられた方々の冥福を祈りました。
8月15日になると、戦争で受けた傷を見て、亡き戦友の分まで生きて世の中のために努力をしていこうと思うのです。
(神奈川県 H・I)
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