コラム
玉木正之のスポーツ博覧会
2021年10月08日
日本のスポーツはなぜ「オリンピック依存症」になるのか?
東京五輪・パラリンピックが終了した。
一節によると、1年の延期で大会費用は合計4兆円に増加したとも言われ、無観客のため900億円余の入場料収入もゼロ。莫大な赤字が残されたともささやかれている。
ある週刊誌の報道によれば東京都民1人あたり10万円以上の税金がかかったらしく、正しい数字が発表されて、東京都(都税)と日本の負担金(国税)や、国際オリンピック委員会(IOC)の負担金など、全ての金額が明らかにならないと、2030年冬季五輪招致を目指す札幌市も、招致運動に力が入らないだろう。
そんな中、後藤逸郎著『亡国の東京オリンピック』(文藝春秋)で、一橋大学大学院の坂上康博教授の次のような興味深い言葉を発見した。
戦後、日本が独立した1952年以降で計算して58年4カ月、84%にあたる期間が五輪招致運動や開催準備に費やされたという。最も間隔の空いたのが1972年の札幌五輪後の5年半。それ以外はほとんど常に日本のどこかの都市が五輪に関わり、《日本はオリンピック中毒、あるいは依存症と言えるほど》だという。
五輪招致は東京4度、札幌4度、長野、名古屋、大阪が各1度。それほど数多く招致に手を挙げた理由は、五輪招致という「錦の御旗」が存在しないと、スポーツ関係の予算が取れないからだ。
欧米では大リーグやプロサッカーのスタジアムも税金で建設されるのが普通だが、日本ではスポーツが企業の所有物と化している場合が多いので、税金は使えない。そこで五輪や国民体育大会がなければ予算が出ないのだ。
ここらで日本のスポーツは企業の私物という構造を変えて、社会の文化財としてみんなで助け合って存在する方法を考えるべきだろう。
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