コラム
「広告メディアの充実」庶民の生活を豊かにした情報~連載59
世の中が平和になると、五街道をはじめ交通が発達し、様々な情報が江戸の庶民にも入ってくるようになりました。
そうなると、もっと聞きたい、知りたいと思うのが人情です。今のように電子機器で瞬時に情報が手に入らなかった当時の人々が、豊かな生活をするために必要な情報を得る手段は、広告や宣伝物が大きな役割を果たしていました。
江戸時代も後期になると、出版物が盛んになり、そこから生まれた媒体が錦絵や草双紙、情報本、引札などです。当時のアイドル的存在だった歌舞伎役者、花魁、美人と評判の茶屋娘などは、その姿を描いた錦絵や評判記という印刷物で、庶民の間で人気が広がってゆきました。
有名人を起用した宣伝広告をうつ事で、効果を上げる事は今と同じです。人気戯曲者に宣伝文を書いて貰い、名の知れた浮世絵師に描いて貰ったりする事で、その宣伝効果は何倍にもなったのでしょう。大々的に宣伝物を作れない小さな店はそれぞれに、当時は「命」と言われた、看板やのれんで工夫をしていました。
江戸京橋の坂本屋では、白粉「仙女香」の売り出しで、店の看板やのれんをはじめ、美女が歌舞伎の中で仙女香を使っている錦絵、名前を入れた鳥居や手拭いの神社への寄進、広重が描いて良く売れた東海道五十三次の絵にも仙女香を看板として登場させて、「何にでも面を出す仙女香」と呼ばれるまでになりました。
蕎麦が16文の時代に、6杯分の値段が付いた情報が「話のネタひとつ96文」で売り買いされたといいます。売り手は江戸外神田の古本屋の藤岡屋がまとめた「藤岡屋日記」。買い手は各藩の留守居役で、お殿様に市井の様子を話して聞かせる役目として必要な情報源でした。江戸後期には「共通な情報を入手して、行動を共にする事が文化を作る」という現代の情報化社会に発展する基礎が既に出来ていたのです。
当時の広告媒体を人気の順番に挙げると、看板とのれんは最も人の目に付きやすい一般的なもの。高札は通りの辻に立てられた幕府からの大切なもの。売り声は「声」という街に響いた手ごろな広告。情報本は往来物や雛形本、図案集など情報源として出版され、歌舞伎役者などのアイドルは広告のタレント的な役割を果たし、売れっ子作家が自分の話に広告を入れたり、自分の店の宣伝を書いた草双紙。全て信用するのは疑問である何でもランキングの番付。広告用に配られた今で言うチラシの引札。ポスター的な役目であった色も綺麗で見た目も美しい錦絵。カタログ的に一コマ毎に名店や名物の絵を入れたゲームとしても楽しめる双六。PRの元祖的な存在の無料で配る景物です。
人の目に付きやすい工夫を凝らした広告は今と変わらない手法でした。この様な資料は博物館等に数多く現存し、その姿から当時の様子を実感することが出来ます。
(本稿は老友新聞本紙2016年1月号に掲載した当時のものです)
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