コラム
第43回 城を築くということ
城づくりのポイントは兵力の数
お城をどこに築くのか。これはお城の堅固さを大きく左右し領国経営の明暗が分かれる重大な問題です。これが上手くいかないと落城、更には一族滅亡の恐れもあるからです。
城地を決める最大のポイントは、実はお城を守る兵力です。兵力の数でお城づくりの全てが決まると言ってもいいでしょう。お城を築くことを「城取」といいました。どこに「取る」のかといえばまずは縄張からです。
山城から平城へと進化
兵力収容能力拡大に起因
縄張というのはお城の設計のことで、本丸や、二の丸、三の丸などの曲輪の配置や形状を決め、石垣の高さ、堀の深さを定め城門や櫓の形式や位置を決めるというお城づくりの全てを整えるということです。
なぜ、兵力が重要なのかというと、兵力が少なければ山城、百人以上ならば、山とその周辺の平地を含む山平城か平地だけを使用する平城。兵力の数に見合った場所に城取するからです。
中世は、兵力が数十人という中小の領主がそれぞれに、深い堀や高い石垣を作らなくても良い簡単に出来る天然の要害を巧みに利用した小規模な山城を構えています。山城の数は全国に四万以上もあり、そのほとんどが中小領主やその重臣たちの小城です。
近世になると、圧倒的な兵力のある天下人や大名が巨大な平山城や平城を築いています。広大な面積を誇っていたため、家臣たちは城を持つことが出来ず、大名の城内に屋敷を与えられて住まわされていたので城主は大名だけになり、城主の激減により、お城の数も全国で二百程に減ってしまいました。
領国拡大で居城を移す
こうして日本の城郭は、兵力の収容能力拡大の必要性に起因して、山城から平山城、平城へと進化しました。平城を築くことは石垣、堀、天守、櫓という土木建築工事の飛躍的な増大をもたらすことになったのです。
城取で更に重要なことは、交通の要衝を城地に選び領国全体に目が配れることと、領国が拡大したら居城を移すことです。それを実践した信長や家康は成功を収めていますが、居城を動かさなかった武田は滅亡し、毛利は領国の大半を失っています。
立地による城の歴史を辿るのも城巡りの楽しみです。
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