コラム
別世界~病院のベッドの上で見たウィリアムズバーグの光景
―この人達は眠っているのか。ゴルフ場のように青々と手入れのゆきとどいた広い草原。
音の無い世界。
私は芝生の上に寝転がっている。動かない。私は何をしているのだろうか。
ここは病院なのだ。きっと消灯時間も過ぎて、皆眠っているのだろう。
そうだ。私は舞台から落ちたのだ。
◇
2007年、RKB毎日開局50周年。2月8日から4月1日まで、福岡市博物館で、市田ひろみ世界の民族衣装展を企画してくれた。
無事展示も終わって、搬出のその日、大きな舞台の隙間に落ちたのだ。
大腿骨や左上腕部を骨折して、私は叫んでいた。救急車のサイレンが近くなった。
福岡から京都までの搬送。新幹線はダメ。飛行機もダメ。結局寝台自動車で時間をかけて京都へ。そのまま私は府立医大へ。
◇
もう何もわからない。霞の中をさまよっていた。
広いゴルフ場のようなきれいな草原。私は眠りながらさまよっていた。
かつてさまよったような草原。どこだろう。ゆきとどいた大きな庭。5月の空気……
……そうだ。アメリカ東海岸「ウィリアムズバーグ」だ。
私の周りには30人くらい寄り添って寝てくれている。男、女、大人、子供、老人。誰も話をしていない。音の無い世界だ。
私がウィリアムズバーグを訪ねたのは1990年、5月。
私は世界中の民族村を訪ねているが、ウィリアムズバーグは世界一、大きく、美しい。
植民地時代、ヴァージニア州の首都だったウィリアムズバーグは、もっとも繁栄した首都だった。
200年前の首都をそのまま復元した町で、そこに暮す人々は200年前の服装で、植民地時代の暮らしそのままの日常が見られる。
私の周りに寄り添って寝ている人達も200年前の服装だ。
現在、病院、学校、商店、郵便局、一般家庭など500軒が復活している。
さて、私に寄り添って寝ている人は、生きているのか、死んでいるのか、胸の呼吸は見られない。
高齢のおじいさんは、ジーンズの前当てのあるオーバーオール。イケメンの40代の彼氏はかっこ良いニッカポッカ。40代の主婦は足首までのギャザースカートに白地木綿のエプロン。
子供もいる。学生もいる。みんな動かない。何故、ほぼ30人もの人が私に寄り添ってくれているのか。
私は寝ているのか。起きているのか。空気の無い世界。時間が過ぎているのか。私の身体が浮いているのか。
ふと白衣のドクターの姿が形になった。そして二度、うなずかれた。
先生の姿は長い廊下の奥に消えた。私は何をしていたのか。徐々に私の意識は戻りつつあった。
私にとって、ウィリアムズバーグは何だったのだろう。あの美しい世界は、再びめぐり来ることはあるのだろうか。
(本稿は老友新聞本紙2019年4月号に掲載した当時のものです)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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