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2020年04月10日

江戸生まれの味~寿司に天ぷら鰻にどぜう~連載43

「食い倒れ」といえば大阪ですが、実は文化・文政期の頃には「京の着倒れ」に続く文句は「江戸の食い倒れ」といわれていたほど、江戸っ子は食べることが大好きでした。
京・大阪のものを「下り物」といいます。日用品から食べ物にいたるまで、高級視した江戸っ子ですが、食べ物は「京風」が高級品として扱われていました。江戸中期になると上方とは違った江戸ならではの食べ物が現れました。そして今度は江戸から全国に広まったのです。その代表的なものは鰻の蒲焼、握り寿司、どぜう、天ぷら、おでん、蕎麦などです。
「江戸前」というと何を想像されますか? 「握り寿司」とお答えが聞こえて来そうですが、江戸時代は意外にも、江戸前といえば「鰻」でした。江戸前の鰻は隅田川・神田川・深川の諸河川で取れたものをいいました。時代が進んで、埋め立てによって鰻が取れなくなっていったので、大正時代になると、鮨屋が東京近海の魚を指すのに「江戸前」と言ったことから、今でも江戸前と言えば「握り鮨」を指すようになっています。

この江戸前の握り鮨は「寿司」「鮨」「鮓」という文字を当てますが、本来は「酸し」と書いて、保存することと旨みを出すために自然発酵させた食べ物でした。江戸時代の初期の頃は昔ながらの熟れずしで、現在の琵琶湖名物で独特の香りと味の鮒ずしと同じように、塩漬けにした魚介を飯の中に漬込んで長時間かけて発酵させるというものです。重しを乗せて木の箱などにびっしりと並べて置く、これが「すし詰」という言葉の語源です。
今の江戸前の握り鮨の形になったのは文化年間で、アナゴ、イカ、エビなどを、ほんの少しの醤油で味づけして煮て、握ったご飯の上に乗せたのがはじまりです。鯵やコハダなどの生の魚を握るようになったのは幕末になってからでした。日本人が大好きなマグロをいただく様になったのは、時代は新しく明治の頃です。江戸時代は、今のようにトロというものはいただかずに処分しており、もっぱら人気は赤身だったのです。
ここで「食い合わせ」をご紹介いたします。何かと何かを一緒に食べると下痢をしたり、腹痛を起こすといわれるものです。食い合わせは奈良時代からあったそうです。
江戸でも貝原益軒の「養生訓」には「同食の禁忌」と残されています。最も知られているのは、鰻と梅干でしょう。川柳に「梅干に鰻試して感心し」とあります。
「天麩羅とすいか」「どぜうととろろ」「蕎麦とタニシ」「うどんとスイカ」「タニシとこんにゃく」「きゅうりと油揚げ」「鯉と紫蘇」など様々あり、覚えきれないくらいにまだまだあります。
なんとこの食い合わせ、食中毒のおそれがないか、手当り次第に身を持って試した強者が昭和の初期に居たといいますが、今日では、残念なことに全てが迷信と否定されてしまっています。しかし、クイズのように食い合わせを実際にチャレンジするのも、新しい発見があるかもしれません。(本稿は老友新聞本誌2014年10月号に掲載した当時のものです)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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