コラム
玉木正之のスポーツ博覧会
2020年01月24日
「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」は危険ではないか?
ラグビーW杯にバレーボールW杯。そして世界陸上。少し前には柔道の世界選手権が忠告され、八村塁選手のNBA入りやバスケW杯も騒がれた。巨人と西武のリーグ優勝も忘れてはならないし、貴景勝の大関復帰や新体操フェアリー・ジャパンも世界選手権で種目別金メダル!
スポーツの話題は連日目白押しで、この状態で東京五輪・パラリンピックになだれ込むのだろう。
ビッグ・イベントだけではない。太鼓腹で脂肪太りの身体を筋肉質で腹筋の割れる体にシェイプアップするTVCMが話題を呼び、健康飲料や低カロリーの食品がもてはやされ、大量勝負のTV番組が高視聴率。お笑い芸人もマッチョなボディを自慢する。
かつて紀元前後の古代ローマ帝国でも、同様の現象が起こった。古代ギリシアのオリンピアの祭典(古代オリンピック)が注目され、肉体美が讃えられ、格闘技など身体競技が大流行したのだ。そのとき詩人のユウェナリスは『風刺詩集』のなかに「健全な肉体には健全な精神も宿るべきである」と、肉体美偏重の世の中を痛烈に批判した。
この言葉が日本では「健全な精神は健全な肉体に宿る」と誤訳(!)され、戦前の軍国主義の中での体力作り(体育教練)に利用されたり、戦後の1964年東京五輪をきっかけとしたスポーツブームに火をつけたのだった。
このヒドイ誤訳では、何が健全な精神で健全な肉体なのか不明だ。無批判的にこの誤訳を受け入れると、「国」のいう事を素直に聞く、従順で屈強な人間(兵士?)が「健全な精神と肉体の持ち主」となりかねない。そして身障者差別に繋がる虞(おそれ)まである。
今の「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」が、そんな方向にないことを願いたい。
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