コラム
灌仏会で大活躍「卯の花」…年度が3月で区切られる訳~連載37
卯という字に「初」や「産」という字をあて、一年の循環、年の最初の月と見立てるという説があります。私達の国日本では年度が3月で区切られ、新入学、新入社の時期がどうして4月なのか、こうした理由がその一つと思われます。
卯の花は卯月の由来となっている花ですが、蕾がふっくらと白く、まるでかわいいお米粒のようなユキノシタ科の植物で、古来より愛されてきたのはこのためとされています。
江戸時代の経済の基盤はまさに米です。暦が発達したのもお米をはじめとする農産スケジュールの整理とや精度を高めるためのものだったからです。
また卯の花は「灌仏会」という卯月の重要な行事にも欠かせない花です。灌仏会は「花まつり」とも言われ、お釈迦様の誕生を祝う行事です。当時の記録を見ると、関西では竿の先に卯の花とツツジを結び付けた「花の塔」を家々で立て、なかには竿を2本、3本と継いで高さを競い、太陽信仰とも関係があったようだと書かれています。江戸では門戸に挟んでお祝いをしていました。
しかし江戸後期になると、次第に花は市中で売ってはいたものの門戸には挟まず、仏前だけに供えるように変化してゆきました。習慣というのはいつの時代も徐々に変化をするものです。
京都、大阪、江戸の三都の大方の仏寺で開催された灌仏会では、天地を指差したお釈迦様像を中央に安置して屋根を花で飾った「花御堂」を作り、お釈迦様に甘茶をかけるというのが習わしです。私の出た学校では、白い像の上にお釈迦様が乗っていらっしゃいました。
この甘茶の若い葉を乾燥させて煎じて作る甘茶を使い始めたのは江戸時代です。定かではありませんが、それ以前は香水を使っていたという説はありますが、はっきりはしていません。
この日の甘茶を使って墨をすり、「ちはやぶる 卯月八日は 吉日よ 神さけ虫を せいばいするぞ」という歌を書いた紙を厠に貼っておくと、虫よけと毒除けのおまじないになるとされていました。もう一つ虫除けには、この日に摘んだぺんぺん草を束ねて行燈に逆さに吊るという方法もあり、江戸がいかに虫に悩んでいたのかを感じます。
灌仏会で老若男女がこぞってひしゃくを使ってお釈迦様に甘茶をかけていた江戸時代には、釈迦の誕生を祝って九匹の龍が天に現れ、甘露の雨を降らせたと言い伝えがあります。子供のすこやかな成長に願いをかけた日でもありました。
バレンタインデー、ホワイトデーなど、商業ベースに乗せられて迎合してしまう日本人ですが、あらためてスタートを切る4月。神羅万象生命の躍動感を迎え、桜前線の中、どんな事を感じるのでしょうか?
(本稿は老友新聞本紙2014年4月号に掲載した当時のものです)
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