コラム
「恩忘れたらあかん」…50年間も追求し続けた日本人の心<市田ひろみ 連載28>
分厚い封筒が届いた。差出人の名前もわからない。
封を切ると、何と私の原稿、それもかなり古い原稿だ。
挨拶やもてなしについて書いた原稿だ。200字詰で10枚。
原稿用紙の左隅に「市田ひろみ」と印刷してある。たしかに、こんな原稿用紙を使っていた頃がある。昭和40年頃の原稿か……。
さて、内容が面白い。
自分の原稿を自分でほめてもはじまらないけど、何といっても内容は礼儀作法で貫いている。今とまったく変わっていない。
「恩を忘れたらあかん」
「弱いもんいじめたらあかん」
「返事は聞こえるようにせなあかん」
その頃すでに講談社から『花嫁さん気をつけて』など書いていたから、昭和42~43年頃のエッセイだろう。
半世紀前、女優としてデビューした頃、新宿の映画館の方で「鈴木朝治」さんという方がいた。新人の私を何かと親切にしてくれた人だ。
鈴木さんは映画館がなくなったあと、結婚式場に勤めておられたので、ブライダル関係のエッセイを書かせてくれたものだろう。
鈴木さんのお嬢さんが自宅をリニューアルする時、父上の資料の中から私の書いた原稿を発見してくれたのだ。
50年の年月の間、私の仕事も随分変化があった。女優を引退して、母の美容室を継ぐことになり、同時に原稿をたのまれたり、講演をたのまれたり、すでに私の仕事は大きくひろがって行こうとしていた。
鈴木さんとは年賀状のやりとりはあったものの、お互いにブライダルという同じ道を、東京と京都で歩いていた。
私の原稿は鈴木さんの書斎で、鈴木さんと共に静かにねむっていたのだ。
お嬢さんがわざわざ送ってくれたお蔭で、半世紀前の私の思想がわかった。
私の90冊に及ぶ出版物も、テレビも、すべて言葉づかい、礼儀作法、礼法など、日本の美学ともいうべき、おもてなしに及ぶもの。
なんと50年も、私は日本人の心を追及して来たのだ。
変わっていないのは私の文章ではなくて、私が書いて来た礼儀作法や秩序なのだ。
京都は外国人観光客が多く、私の住いのある御所も開放されたので、外国人観光客が多い。
この頃、寺社に行くと、観光客の心づかいが感じられる。
先日、寺町広小路の廬山寺に行って感じたのは、外国人(ヨーロッパ系)が仏前で手をあわせて、皆がひそひそ話している。昔は仏前でもバスの中でも、アジア系の人が大きな声でしゃべっているのが気になったが。
やはり、まわりに気をつかっているのだ。
「郷に入れば郷に従え」
という言葉がある。
日本の子供達も、日本の礼法を知ってほしいものだ。
環境が人を作る。
昨日、エレベーターに乗ろうと思ったら、閉まりかけた。そしたら、小学生の男子が急いでエレベーターが閉まらないようにドアーを押さえてくれた。
小さな親切だ。私は
「ありがとう」
といって、小さな挨拶をした。
男子のさりげない挨拶こそ、少年の将来の人柄につながるものだ。(老友新聞社)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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