コラム
かがやく人
歌手・加藤登紀子さんインタビュー(2)「出会いというのは人の運命に触れること」
旧満州・ハルビンに生まれた加藤登紀子さんは、現在、歌手生活50 余年。いまもなお、コンサートや制作に夢中になって音楽に取り組む、元気いっぱいの姿には、胸を打たれます。今回、楽しく過ごす秘訣を伺うべく、登紀子さんのご両親が開いたロシア料理店「スンガリー」の新宿三丁目店を訪れました。ライフワーク「ほろ酔いコンサート」では、ステージで日本酒を楽しみ、会場を大団円へと導く登紀子さん。お酒と共に、本日はどんなお話が飛び出すのでしょうか。
前の記事「歌手・加藤登紀子さんインタビュー(1)「『許せないわ』より『いいじゃないの』って言えるくらいでいたい」」はこちら。
登紀子さんの運命の歌 ロシア歌謡「百万本のバラ」
登紀子さんの音楽の原点は、ロシア式の結婚式の強烈な記憶だそう。皆で酒を酌み交わし、カップルは熱いキッスを交わす。コサックの歌は、アコーディオンとバラライカ(ロシアの弦楽器)に合わせ、独唱から五部合唱となり、どんどん一体感を増していく。
「思い出すだけでくらくらする光景だったわ」
それほど大きな存在なのに、遠ざけていた時も。
「日本の歌手としてオリジナル楽曲を歌っていたから、ロシア民謡にはずっと手を出せなかった。でも、大陸を知っている森繁久彌さんの『知床旅情』を1970年に歌って、それがヒットして、その時、やっと、異文化で育ってきた日本人として、自分を認めてもらった感じがしたの。
そこからは、安心してシャンソンやロシア民謡にも打ち込めた。『知床旅情』や『百万本のバラ』を歌って、それが、いつのまにか私の代名詞みたいになっているのは不思議だけど、ものすごく深い縁を感じます」
映画も大好きだという登紀子さん。人生は短くて、経験できることは限られていますが、自分の経験を何倍にも面白くしてくれるのは想像力。映画は歌にはないディテールの表現に優れ、想像力をかき立てる栄養補給になるのだそう。
「映画とは違って、歌はもう少し具体的でない、名前のないものになれる。長い長い時間がたって、誰が歌っていたのか、誰が作ったのか、誰も知らない――でも人々は歌っている。曲や歌詞が生まれて、それが歌になったときに、いろんな人の心に飛んでいく、自由な種になる力が歌にはあるの」
映画で得たどきどきわくわくを、歌でどう凝縮して表現するか? 歌のさらなる魅力を感じているようです。
世代を超えて伝えていくこと
登紀子さんは日本最大級のロックフェスティバル「FUJI ROCK FESTIVAL(フジ ロックフェスティバル。以下、フジロック)」に、レジェンド的な存在として、近年は毎年出演しています。
「フジロックはね、素晴らしいのよ。目の前が若者しかいなくて。それから病みつきなんだけど」とほほ笑みますが、そこには”音楽の継承”というテーマがあるようです。
「フレッシュで健康で若いというだけがいいのではなくて、時間をかけて熟した後も、おいしいワインになるんだよっていうことも伝えるべきじゃないかなって思ってる。若い頃って、時間をかけて作っていくなんてことは考えられないし、トップを行っている者だけがカッコいいって思っちゃう。でもね、トップランナーには前しか見えないのよ。逆にね、何十年、何百年もの間に、バクテリアのように熟成され一滴一滴が積み重なって、文化を支えているということが、ラストランナーには全部見えている。私も、こうして時間をかけてきたことによって、一滴で人の心を震わせる歌を歌いたい」
出会いというのは人の人生に触れること
「出会う」ことにするのか、「すれ違う」ことにするのか? 人との出会いで、人生の彩りが変わると言う登紀子さん。
「私は、(美空)ひばりさんとは出会ったけど、ちゃんとは出会わなかったの。言葉は交わしたけれど、友達になる勇気がなかったのね。それで今頃悔しくてひばりさんの歌を歌ったりしているんですけど(笑)。石原裕次郎さんも隣のスタジオにいらっしゃると分かっていたのに、どんな顔で押しかけていっていいのか分からなくて遠慮しちゃったの。裕次郎さんの曲も作曲させていただいたのに、最後まで実際にお会いできていない。すれ違ったという悔しさはあるわね」
そんな経験から、会いに行くという行動も大事だと登紀子さんは言います。実際、ボブ・ディランの音楽の父といわれる音楽家ピート・シーガーにニューヨークまで、はるばる会いに行ったとか。
「残念ながら会えなかった。その時、奥さんが亡くなる直前だったみたいで。彼は、第二次世界大戦が始まった時に、日系人の方と結婚したんです。その奥さんのそばを一分一秒でも離れられないってことだった。翌々年ピートも亡くなってね。この時、行動を起こさなかったら、奥さんの存在を知ることはなかった。人に会うって、その人の人生を一瞬でも見られるかってことだから、直接会えなくても共有できた感じがしたわ」
登紀子さんの歴史がまるっと詰まったコンサート
4月21日(土)には、Bunkamura(ブンカムラ)オーチャードホールにて、コンサート「TOKIKO’S HISTORY(トキコズ ヒストリー) 花はどこへ行った」を開催。このタイトルは、ベトナム戦争時の反戦歌として有名な「花はどこへ行った」を引用しています。先のピート・シーガーが、ロシアの作家ショーロホフ作の『静かなドン』に出てくるコサックの子守歌の歌詞に合わせて、作曲したのだそう。
「アメリカ人のピートは、当時のソ連とアメリカが敵対している真っ最中に、ロシアの言葉から、この反戦の歌を作ったんです。彼は、それ以前にも真珠湾の攻撃があった後に、日系人の妻と一生を生きる決意をした。偶然かもしれないけど、この二つの判断には志が宿っていますね。国と国、人と人、いろんな分断を乗り越えるために彼の歌があったんだと思います」。
登紀子さんの代表曲「リリー・マルレーン」「百万本のバラ」「さくらんぼの実る頃」なども、そういう役割を果たしてきた歌。今回のコンサートは、「自分の命のつなぎ目に置いてきた大切な歌たち」で構成されるそう。過去、現在、未来を、地続きに見つめる登紀子さん。
「オリジナルソングと、昔の歌を受け止め伝えることに、自分のエネルギーを半分ずつ注いできた。私の歩んできた道そのもの、そして、長い年月に一滴ずつ集めてきた珠玉の歌を通じて伝えることができれば!」
加藤登紀子さんの元気の法則
1.「人生を何倍にも面白く映画鑑賞が大好き!」
限られた人生を豊かにしてくれる、映画鑑賞が幼い頃から大好きだという登紀子さん。強烈に記憶に刻まれているのは『チャタレイ夫人の恋人』。最近では『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』もチェック済みだとか。
加藤登紀子さんの元気の法則
2.「やっぱり人との出会い。自分史を伝えよう!」
「『人との出会い』はすごく大事。直接会えなかった人でも伝記で触れたりすることができるし、歌は歌い継ぐことができる。あらゆる人に自分史があって面白い。だから全ての人に自分史を子どもたちに伝えてほしい」と登紀子さん。写真は「FUJI ROCK FESTIVAL」出演時のもの。(写真/ヒダキトモコ)
加藤登紀子さんの元気の法則
3.今年の課題はこれ!毎日1分トランポリン
40歳からストレッチを始め、最近は呼吸の訓練にもなるエルゴマシーン(写真上。ボート競技の水上での動きを陸上のトレーニングで再現し、漕ぎ手の漕力<そうりょく>を測定するための器具)も取り入れているそう。今年は小型のトランポリンを設置し、1日1分を目指しています。10のカウントごとに、ひと息。全身運動になりハードだとか。
取材・文/古城久美子 撮影/木下大造 撮影協力/スンガリー 新宿三丁目店
この記事は『毎日が発見』2018年4月号に掲載の記事です
加藤登紀子(かとう・ときこ)さん
1943年、満州生まれ。歌手。66年「誰も誰も知らない」でデビュー。71年「知床旅情」が大ヒットし、日本レコード大賞歌唱賞受賞。自身が訳詞・歌唱した「百万本のバラ」が話題となり、87年にシングル化。
スンガリー 新宿三丁目店
終戦後、登紀子さんの一家はハルビンから無事に帰国し、父・幸四郎さんは1957年に小さなロシア料理店「スンガリー」を開業する。現在は、オープン当初のクラシックなインテリアが楽しめる新宿東口本店とモダンな新宿三丁目店の2店で営業中。
- 住所:東京都新宿区新宿3-21-6 新宿龍生堂ビルB1
- 電話:03-3353-3947
- 時間:月~金 11:30~15:00、17:00~23:00、土・日・祝11:30~15:30、17:00~23:00
- 休み:なし(年末年始、設備点検日を除く)
- 席数:48席(テーブル)
- 交通:JR新宿駅東口より徒歩3分
※全席禁煙
『ゴールデン☆ベストTOKIKO’S HISTORY』
3,000円+税 ソニー・ミュージックダイレクト
4月18日(水)発売/(2CD)
激動の世界と自らの半生を歌でつづる2枚組ベストアルバム。「知床旅情」「百万本のバラ」「愛の讃歌」他、全35曲を収録する。
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