コラム
年末年始の大仕事は煤払いと餅つき!連載22
12月中頃から「煤竹商い」が町中を歩き始めると、いよいよ江戸は年越しの準備に入ります。
「煤竹」とは煤を払うために先っぽの葉を残した竹のことで、高い所の煤や埃を払う道具です。
12月13日前後にこの煤竹を使って年末の大掃除が行われていました。これが煤払い、煤掃とも呼ばれていたものです。江戸城大奥では寛永17年以来、13日が大掃除と定められたようです。とはいっても、月明けより個々の部屋の掃除は順番に始められ、この日は総仕上げとして正室の御座所が掃除され、畳はすべて新品に交換されたということです。想像するだけでも新しいイ草のいい香りが漂って来るようです。
また大奥では煤竹は使われず、鳥の羽を使った「天井払い」という棒を用いて掃除をし、それが終わると「納めの祝い」として里芋や大根、牛蒡などの煮しめや塩鮭などの食事にお酒がふるまわれたり、手ぬぐいを被った奥女中達が
「めでためでたの若松様よ、枝も栄えて葉も繁る。おめでたやー、アーサッササッササ」
と歌いながら周囲の人を胴上げする習慣があったといいます。まるで現代の、何かをやり遂げた打ち上げ風景の様で大変面白いと思います。この胴上げが大奥の習慣だったというので本当に驚きです。
『東都歳時記』にはこの大奥の風習が庶民広がったらしく、男衆が集団で胴上げに興じる姿が描かれています。プロ野球の胴上げシーンを見ていると、その源流は年末大掃除後の大奥にあったのかと思うと、とても不思議な気持ちがいたします。
城外でも武家、富裕商人などは、出入りの職人など総動員して大掃除し、祝儀や飲食を振る舞います。また庶民は、昼間は忙しいので日が暮れてから煤払いをする事も多かったようで「煤掃や 暮れゆく宿の 高いびき」という川柳も残っています。
12月26日あたりになると町中に威勢いい餅つきの掛け声が響き渡ります。賑わう声の響きは29日と大晦日を避けて止むことがありません。この餅つき、男同士で組んだのは元禄時代(五代将軍綱吉の時代)の頃。現代のように男がついて女がこね取る「合いの手」をするのは安永、天明時代(十代将軍家冶の時代)とも言われていますが、天保9年(十一代将軍家斉の時代)に刊行された『東都歳時記』には、道端で火を焚いて釜で餅を蒸し、杵と臼で餅つきする男衆が描かれています。これは雇われて餅をつく男衆で、その道のプロと言われる腕前のグループのアルバイトでした。
松の内はご飯を炊かずに餅を食べて過ごすので、お正月になると餅に飽きて、お米が恋しくなり「飯はよい ものと気の付く 松の内」という川柳も残っています。
歳の暮れ最後の最後まで江戸の町は活気に溢れ、大賑わいであった事が手に取る様に感じられます。お城では胴上げの歓声、そして城外では餅つきの掛け声。
一年間頑張った自分を胴上げしたい気持ちですが、せめて「バンザーイ」と大晦日の夜叫ぶか、またそれも叶わなかったら、小声で「バンザイ」と声に出して一年の自分の煤払いをやってみようと思っています。(老友新聞社)
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