コラム
第18回 石田三成が整備した境目の城~「佐和山城」
所在地=滋賀県彦根市
種類=山城
大河ドラマ「真田丸」が随分と好調な視聴率を記録し、こういう事から歴史に興味を持たれる方も多いと思います。
あの関ヶ原の戦いはあっと言う間の出来事で瞬き三つ程で終わり、それ以来石田三成の出番が無くなり物足りない方もおいでかと思い、今回は三成に「過ぎたる」と言われた名城佐和山城址をご紹介します。城址というだけあって、ほとんど何もありません。しかし、「武士(もののふ)の夢」を感じる城跡なのです。
標高233メートルの佐和山は、東海道(後の中山道)を望む交通の要衝であり、戦国時代には、湖南と湖北の境目の城として、浅井氏の最前線として重要視されていました。
織田信長がこの城を収めると御座所を持つ城として整備し、大型軍船の建造を佐和山山麓で実施しています。その後、秀吉が全国を統一して豊臣家の蔵入地の代官として石田三成が入城することになったのです。
三成の居城となり「治部少に過ぎたるものが二つある。嶋左近に佐和山城」と言われるようになったのは、三成個人の城ではなく、秀吉の代理執権者の城として大幅な援助があり築かれた壮大な城であったからです。 今の佐和山城の大手は、城山の東側に開かれ、現在も田圃の中に大手門跡(表門は宗安寺に移築現存)があり、両脇には大土塁が廻らされています。この土塁の間に裏門(高源寺に移築現存)があり、また、この土塁上には多聞櫓が防備を固め、佐和山城の威容を誇っていたことを感じます。 大手から山頂の本丸までの登城道は未整備なので、佐和山城へは、搦手口にある龍潭寺(石田三成の菩提寺で境内に三成の銅像がある。)・清涼寺(伝嶋左近屋敷跡)から登城道があるのでそちらからがオススメです。ちょっとしたハイキングの気分でお出かけください。 佐和山城は、彦根城築城に伴いきれいさっぱり石材が運び出され、徹底的に破却されたため、今では往時の姿を偲ぶことすら叶いませんが、それでも「武士の夢」を辿る旅として是非お出かけいただきたいです。本丸からの彦根城眺めはいろいろな意味で格別です。(老友新聞社)
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