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コラム

2017年02月10日

第10回 大阪城〈高さ全国1位の石垣が見所!信長の思いを秀吉が受け継いだ天下人の野望の城〉

所在地=大阪市

種類=平城

 

慶長20年(1615年)、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した後、徳川秀忠が徳川幕府の城として大改造したのが現在の姿で、「太閤秀吉の城」ではなく「徳川幕府の城」です。

秀吉時代の大阪城を埋め立てて作り上げた城なので、地上には残念なことに、秀吉時代の大阪城は存在せず、地下にひっそりと眠っています。 

城の縄張り(設計)をしたのは、藤堂高虎。築城三名人と言われる人です。徳川大阪城が豊臣大阪城を地下に埋めてしまったのは、石垣の高さを2倍、堀の深さも2倍にするという、築城の条件があったためで、決して「豊臣を葬る」という意図があったわけではありません。縄張りは豊臣時代のまま、城門や櫓の名称も変えていないのがその証拠です。

高虎は、水堀から直接石垣を立ち上げる技術を開発した人です。日本全国には高虎の発明した技術によって、築き上げられた高石垣が残っています。

大阪市歴史博物館から大阪城公園に入った所から見える、南外堀と二の丸の石垣は、折れ曲がった屏風のような形になっていて、「屏風折の石垣」と呼ばれ防護性の高い城壁の役目をしていますが、水面からの立ち上がりは凛として連なり、ここの必見です。

大阪城の本丸東面の石垣の高さは全国堂々の一位。その高さは約30mもあります。信長がやっと手にいれて石山本願寺の跡地に、建てられた豊臣大阪城は特別な広さを誇り、その敷地の総面積は現在の約3倍といわれ、秀吉が築いた大阪城は、主君、信長の構想を受け継いだといわれた三国無双の名城でした。

その後の大阪城は、江戸城と同じ天下普請で築かれた国家プロジェクトの城。天下普請ならでは目をひくのは城内の巨石です。

どれだけの人がこの普請にかかわったのでしょうか? 城作りには男達の血と汗そしてロマンがあります。人目につきやすい出入り口(虎口)を担当するのが出世の早道ともささやかれていました。ここで認められる仕事をすれば、上にのし上がれるかもしれないのです。

玄関先とも呼ばれる虎口を巨石で豪華に演出するのが、権力を表すともされ、城内の巨石のベスト10はすべて城門にあります。一番大きな石は「蛸石」と呼ばれ壁のように巨大ですが、横から見ると意外と薄いのが特徴です。それでも、クレーン車もない時代によく運んだものだと感動します。

IMG_1845

天守台を含めた天守は58mの構造、秀吉が築いた天守は36mなので、かなりビッグになった天守です。五重の塔のように階を積み上げた層塔型の天守も高虎が発明したものです。

信長の思いを秀吉が受け継ぎ、その上に高虎が設計し技量を結集して徳川の城を立ち上げる。天下人の思いの上にそびえている城なのです。

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