コラム
中国人の爆買いは30年前の日本人と同じ?!回り道した人生を振り返る<市田ひろみ 連載11>
人類の長い歴史の中で、私たちは、たまたま「80年」という時間を頂いている。
日本人は先進的な文化と、伝統的な文化をバランスよく両輪で支えながら、豊かな暮らしを享受することが出来た。
今、中国人観光客の、日本における行動を「爆買い」と揶揄しているが、実は30年前は日本人も同じことをして来たのだ。
ブランドのバッグや時計が、どんなにうれしかったか。似合っても似合わなくても、とにかく、持つことがうれしかった。これは国家の成長のエネルギーなのだ。
年を重ねると、あれもこれも欲しかった時代は終わって、80年の人生をどのように生きたら良いのだろうと、問われているように思う。
私は今も現役で、講演や執筆に追われているが、そろそろ仕事量を減らして、人生を楽しむ方向にゆくのが良いと思う。
私の人生は、OL・女優・美容師・きもの・CM・世界の民族衣装。波乱万丈だったけど、何とか積み残した荷物のように仕事があって良かった。
世界の民族衣装の研究の取材ノートは、すでに百冊を超えている。私の訪れた世界の国の小さな村で、ふれあった人達のことを書きたいと思っている。これは、大きな私の宿題だ。1968年から地球を何周しただろうか。
ところで、私のニューヨークの宿は、しばらくウォルドルフ・アストリアホテルだった。
団体旅行ではなかったので、朝食は1Fのレストランだった。
毎朝、母と行くので、ページボーイのK君と短い会話をするようになった。
ある日の朝も、元気よく挨拶をして、おしゃべりをしてくれた。
「僕はチャーチルのカバンを持ったんだ。大きな人で、手も大きかったけど、やわらかい、暖かい手で、僕の手をにぎって、サンキューって言ってくれたんだ」
K君は14歳からこのホテルで、ページボーイとして働いた。
「世界中の人達が、子ども扱いだった僕を大事に扱ってくれた」
彼のユニフォームの中には、世界中の人々とのふれあいがつまっている。とりわけ、ウィンストン・チャーチルのカバンを持ったことは、彼の誇りなのだ。
ハイスクールも出ていなかった少年は、世界中の人々のトランクを運びながら、ウォルドルフ・アストリアの顔になった。彼は、ひとすじの道を歩いたのだ。
学歴や成績なんて、人生を決める決定的なファクターではない。立ち止まりながら考える、駅のようなものだ。遠い道、近い道、まわり道、どの道も、ふり返ればなつかしい。
私もまわり道をしながら歩いた。辛いこともあったけど、父や母は、最大の味方だった。友達も多い方が良い。
今は世界中からクリスマスカードが来る。ニューヨーク・パリ・ロス、超一流のブティックばかり。
ええーー?これって、「爆買い」の遺産!!
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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