コラム
京都弁は難しい 江戸時代から変わらぬ京都人の「物言い」<市田ひろみ 連載10>
「一緒のお墓になんか入りとうないわ」
「なあ。もうえーなあ!!」
「あの世へ行ってまで、めんど見んの、しんどいでー」
「そんなこと言うてからに。出棺の時、泣いてたん、だれや!!」
テレビカメラの前で大阪のおばちゃん達は、亡くなった亭主の悪口ざんまい。
私の友人は大阪の某局で、定年まで制作の仕事をしていた。大阪のおばちゃん達は、一番仕事がしやすいそうだ。レポーターにとって、ハプニングが期待できる無名のタレントなのだ。
どんな質問にも答えてくれるし、それなりの感想も本音で答えてくれる。時には本物の芸人も負けそうなキャラクターにも出会える。
その点、京都は平均して取材しづらいそうだ。遠慮がちで、控え目で、
「私なんな、ようしゃべりません」
「そんな、主人に叱られます」
「かんにんどっせ」
やっと取材出来ても、感想がとりにくい。西と東の都市の性格というのか、大阪はネアカであとくされがなく、悪口もユーモラスだ。
いつかテレビで、さんまさんと江川卓さんと三人で、大阪の笑いについて話をしたことがある。関西では、ワイドショーや舞台で新人が前座をつとめることがある。新人の漫才が面白くないものであっても、大阪のおばちゃん達は大声で笑って大拍手。
「よかったよかった」
「きばりやー」
東京は、拍手も来ないそうだ。芸に対しては、東京はシビアできびしい。大阪の土壌というのだろうか。
一人前になる前は、若い芸人達は誰しも収入が少ない。赤ちょうちんのカウンターで
「食べて行きや。出世払いやで」
という話をよく聞いたものだ。こんなところに情の世界がある。商都大阪は、大阪商人の手八丁、口八丁の伝統が今尚生きている。
ところで
「京都のふところにはなかなか入れない」
「お腹の中がわからない」
といわれる。たしかに京都の人の「物言い」には、真意のつかめない言いまわしがある。もはや若者達が今風の作法で生きているのに、尚、京風というのが、京都を語る時、テーマになっているのも確かだ。
そこには、都人のプライドが、新しいものにとびつかない、えばらない、見せびらかさない、出しゃばらないという京風を作ったのだろう。
1803年(享和3年)手柄岡持がこう書いている。
「京都の人は、うわべはやわらかにて、心ひすかしとさみする人多し。江戸ものの心持には、さ思うべき道理もあれど、又、江戸ものの及ばぬこと多し。思うに物の流行、江戸は足はやく、京都は足おそし。十年あとにのぼりて見たるに、帯のはばせまき、こうがいの長きなど、江戸にてむかしはやりしこと、そのままにてあるよう思へり」
京都の人の心の中は、わからないし、流行にもとびつかない。なんと、京風というのは、江戸時代からよそ者が感じていたことなのだ。一見、ひかえ目な京風も、これからどんな風に変わっていくのやら。ちょっとさみしい気もしまっせ。(老友新聞社)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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