コラム
第15回 関ケ原 ~天下の分け目~

(本稿は老友新聞本紙2024年9月号に掲載された当時のものです)
慶長五年(1600年)9月15日早朝。徳川家康を中心とする東軍と、石田三成を中心とする西軍の、合わせて15万を超える日本を二分する大軍が関ケ原で激突し、決戦の火ぶたは切られたのです。
各所で激しい戦いが繰り広げられる一方で、参陣しても戦いに参加しない者、離反を考える者、諸将の様々な思惑が交差した中、三成方の一大勢力であった小早川秀秋の離反をきっかけに戦況は一変。三成方は大混乱となり戦局は一気に家康方への勝利へと傾き、天下分け目の合戦は、わずか一日で決着を見る事となり、豊臣の世から徳川の世に天下は移って行ったのです。
関ケ原は冬になると新幹線が雪で難儀するところで有名ですが、岐阜県の最南端伊吹山の南東麓に位置している、岐阜県不破郡関ケ原町です。
「関ケ原」という地名の由来は一説には「関所」のある「原っぱ」といわれ、672年大海人皇子と大友皇子による日本最大の内乱「壬申の乱」がおこったのもこの地です。今の「関東」「関西」という呼び方も関ケ原が境になっているともいわれています。
JR関ケ原駅から徒歩20分ほどで合戦の地に到着出来ます。最大級の激戦が繰り広げられた決戦地は、今は笹尾山を背に田園の広がる中程にあります。徳川家、石田家の家紋入りの旗と石碑があり、まさに兵どもの夢の後……。耳を澄ませば鉄砲の音、馬の嘶きなど聞こえる映画のシーンが蘇ります。
関ケ原には各武将の陣を廻るための観光ガイドやレンタサイクルなどが充実しているので、歴史の舞台を楽しみながら訪れる事が出来ます。また、関ケ原古戦場記念館は歴史の1ページを体感でき、子どもから大人まで歴史を身近に感じ、広く、深く学べる施設で、さらに、戦国武将になった気分も味わえます。
関ケ原の戦いは9月15日といっても旧暦ですから、今の暦だと十月も半ば位。笹尾山は少し色づく頃なのでお出かけするにはこれからです。
(本稿は老友新聞本紙2024年9月号に掲載された当時のものです)
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