コラム
箸の日に寄せて〈箸は人なり〉

(本稿は老友新聞2019年8月号に掲載した当時のものです)
読者の皆様はご存知でしょうか? 8月4日は「箸の日」です。折れた箸、傷んだ箸に感謝をして供養をする日です。日本人ならば毎日手にしている箸ですが、いったいいつの頃から使っていたのでしょぅか。あまりにも身近な食事道具として見過ごしている箸の歴史をひも解いてみると、たった二本の木に込められた古の心と、日本人の美意識を感じられると思うのです。
日本人の一生は、箸に始まり、箸に終わると言われています。食事作法もしかりです。箸は、毎日食べ物を口に運んでくれるとても大切な道具、まさに「命の杖」なのです。
日本に箸が登場したのは、はっきりと解っていませんが、弥生末期の三世紀頃、ハレの神事儀礼ともいわれており、奈良時代に隋や唐の影響を受け一般化しました。現在も神饌とともに神と共食する「祭器」として、箸が神様に供えられるのは、神饌が清浄な神火を通した熟饌(蒸した強飯)が供えられる大切な神祭りの時に限られています。神事の途中に、“神とともに食べる”ということを目的とした、神人共食の箸でもあるのです。日常の神饌は、火を通さない生饌(米、野菜など)で、箸は供えられません。これは、古代では、日常の食生活はあくまでも手づかみでいただく「手食」であり、ハレの神祭りだけ、箸が使われていたということです。
現在、箸を使って食事をするのは主に東南アジアの民族ですが、箸だけで食事をするのは日本人だけで、日本型箸文化を形成しています。それは、神事儀礼の中で箸が格別に神聖視されていたからでしょう。神に供えた箸は、直会で神饌を取り分けられるのに使うので、取り箸としての機能も持っていました。日本人が直箸を嫌うのは、こんなところにもあるのではないでしょうか。
神事、正月、節供などの年中行事や年祝いなどの通過儀礼のハレの日の祝膳には、普段は使わない柳、檜など邪気を祓う清浄な白木箸の「ハレ」の箸、日常で使われているめいめいが所有する個人専用の「ケ」の箸です。普段見慣れている漆箸が登場するのは江戸時代の初期です。大名、武家の間で使用され、次第に江戸、京都、大阪の豪商などから、町人に広がりました。また、日本人が開発した「木の文化」である割り箸は、江戸時代の中期に飲食店の繁栄とともに流行し、たった一回で捨てられる宿命ですが、白木の清浄感を好む日本人の美意識を反映した最高に贅沢な箸です。
「箸使いを見れば人柄がわかる」といわれ、日本社会では、言葉使い、身だしなみとならんで、箸の持ち方、扱い方は、人柄が評価される大切な要素です。日本人の箸使いの上手さは、かつて世界に誇る「器用さ」であり、箸の文化や正しい箸使いを身付けることは、洗練された教養の一つではないでしょうか。
毎日お世話になっている箸だからこそ、その役割に対して年に一度思いを寄せて感謝をするのが箸の日です。
神社によって供養は様々ですが、お焚き上げする箸を郵送でも受け付けている神社もあるようです。
(本稿は老友新聞2019年8月号に掲載した当時のものです)

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