コラム
マコのよもやま話 | 和泉 雅子
連載20 運命の人
昭和39年、日活入社4年目にして、舟木君(舟木一夫さん)と出逢った。私、31本目の映画『あゝ青春の胸の血は』舟木君のヒット曲を映画化したものだ。実は、この映画が、舟木君との運命の出逢いとなった。なーんちゃって。ドキドキしたあ?フフフ……
映画会社5社は、歌謡映画の真っ盛り。日活も、である。曽根史郎さんの『若いお巡りさん』フランク永井さんの『西銀座駅前』、ペギー葉山さんの『南国土佐を後にして』渡辺マリさんの『東京ドドンパ娘』コロムビア・ローズさんの『東京のバスガール』など、など、数知れない。でも私、なかなか歌謡映画と出逢えなかった。ドンパチ(アクション映画)か青春映画か『非行少女』のような社会派映画ばかり。それがついに、入社4年目にして、歌謡映画に出逢った。
17才、東京オリンピック直前の初夏のことだ。しかし舟木君、最高に忙しく、たった一日しかスケジュールがとれない。そこで舟木君は町内のクリーニング屋さんの役で、4シーンをまとめ撮り。戸田の土手での撮影。初めて見る舟木君は、ほっそりして、恥ずかしそうにしていた。アッという間の撮影時間だった。実は、この映画の二本前、29本目の映画で、三田君(三田明さん)の『若い港』に出演。三田君も忙しく、全部別撮り。三田君に一度も逢うことなく、クランクアップしてしまった。歌謡映画に出演した気がしなかった。
翌年の2月に『北国の街』で、再び舟木君と共演。此の度は、舟木君が主演で、私は恋人役。さあ、舟木君のファンは大騒ぎ。カミソリの刃が送られてきたり、文句の手紙が届いたり。ところが、3月に映画が上映されると、ピタリと止まった。どうやら私、きれいなんだけど、まったく色気がなく「安全圏」と思われ、ファンの皆さんのお墨付きをいただいた。でも多分、舟木君が私の大失敗を話したからにちがいない、と思った。
それは、信州の飯田線での出来事。最終列車に乗り込む舟木君を見送る場面。本物の国鉄のダイヤを使っての撮影なので、一発勝負。失敗は出来ない。舟木君と何遍も何遍も練習して、もう完璧と自信満々。急にスタッフが慌ただしくなり、飯田線のホームに最終列車が。「アッ、蒸気機関車だ!」最後尾のデッキに乗り込む舟木君。見送る私。
しかし、乗り鉄子の私、蒸気機関車に気をとられ、せりふを全部忘れてしまった。塩梅良く、舟木君中心なので、私はカメラに対して後ろ向き。声は、アフレコ(アフターレコーディング)だ。「舟木君、せりふ全部忘れた。あれだけ練習したんだから、タイミングは分かる。顔色を変えず、私がどうぞと言ったら、どんどんせりふを言ってね」「……」「はい、どうぞ」「むにゃむにゃ」「はい、どうぞ」「むにゃむにゃ」。ついに蒸気機関車は、時間どおりホームを離れ、舟木君を乗せて闇に消えていった。それを見送る私、心から、心から「舟木君、ごめんね」と謝った。偶然にも、その後姿が、大女優でも表現できない程の名演技だったとか。これは演技ではない。ドキュメンタリーである。
次の駅で降り、車で戻ってきた舟木君「マコちゃん、もお、ひどいよお」「ごめんね。わざとじゃないの。本当にわすれちゃったの。ごめん」「僕ね、各社の女優さんと共演したけど、マコちゃんのような女優さんは初めて。まるで、やんちゃな弟みたいだ」「エヘヘ」。
まさか、蒸気機関車に気をとられ、せりふを忘れたとも言えず、いまだに私だけの秘密として、心にしまい込んでいる。柳瀬観監督もあきれて「この雪道、ただ二人で歩いて。せりふはアフレコで入れるから」忙しい舟木君のスケジュールを考えての、監督の苦肉の策だった。
ところがこの映画、3月に上映すると、大ヒットとなり、これがきっかけで、舟木君と私の、ゴールデンコンビが誕生した。次から次へと、映画は大ヒット。ついに私、相性抜群の運命の人と出逢った。さあこの先、どうなるのかしらん。じゃあ、またね。
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- 和泉 雅子
- 女優 冒険家
- 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。 - 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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