コラム
マコのよもやま話 | 和泉 雅子
連載19 東京オリンピックと新幹線
昭和39年10月10日。皆さん、わかりますよねえ。東京オリンピックの開会式です。四谷三丁目の家だったので、競技場はすぐ側。しもた家(商売をしていない家)が多かったので、ちょっと歩けば聖火台が見えた。今日は抜けるような青空。ブルーインパルスが、その青空に五輪のマークを描くのを、自宅のベランダから眺めた。テレビでアナウンサーが「手が染まりそうな青空」と実況していたが、稀に見る晴天だ。カラーテレビになっていたので、真赤なブレザーの日本選手団が入場したときは、夢でもみてるよう。新聞社もカラー印刷で、参加国の国名と国旗のプリントを配布。世界に、こんなにたくさんの国があるなんて、と驚き。
女学校でも、大さわぎ。「もし、神さまが、ひとつだけスポーツの才能をプレゼントしてくれると言ったら、どんな競技がしたいかしらん」圧倒的に、女子バレーボールだ。東洋の魔女の「金メダルポイント」は、本当に大興奮。宿舎が四谷三丁目なので、選手をよく見かけるが、信じられないぐらい背が高く、かっこいい。次に女学校で人気があったのが、女子体操。チャフラフスカさんが大人気。床運動は、ピアノの生演奏。鈴木邦彦さん、実は、私のレコードのかなりの曲の作曲家だが、なんと、床運動でピアノを演奏していた。そして、水泳とマラソン。あの、円谷選手の活躍は胸が躍った。
さて、私は神さまにどんな才能をもらいたかったかというと「やり投げ」である。東京オリンピックの競技の中で、あまり人気がなかったのが陸上競技で、観客席は、結構ガラガラ。そこで、国立競技場の関係者と、その知り合いの子供達が駆り出された。私も「さくら」で参加。いろいろな陸上競技の中で、なぜか「やり投げ」が気に入ってしまった。ちなみに女学校で「やり投げ」と言ったのは、私だけだった。もちろん、百メートルの弾丸ボブ・ヘイズやマラソンは大人気で「さくら」はいらなかった。
オリンピックの後半は、32本目の映画『男の紋章・花と長脇差(どす)』の撮影。この映画のロケは、なぜか岐阜と決まっていた。東海道線で6時間かけて、東京駅から岐阜駅まで行く。ところが今回は、開通したばかりの新幹線で、名古屋駅までたったの2時間。乗り換えて岐阜駅まで1時間。昼から撮影が出来てしまう。恐るべし新幹線。
実は新幹線、試運転の時に、雑誌の撮影で西郷君(西郷輝彦さん)と乗った。運転席をのぞかせてもらう。すごい。見たこともない機械やメーターがびっしり並んで、目をまんまるくした。東京駅から静岡駅までの試乗だったので、東海道線で東京駅まで帰ってきたが、新幹線のすごさを知った。西郷君と「ちがうねえ」を連発。
さて、ロケのため新幹線で東京駅を出発。と、間もなく社内アナウンス「次は、名古屋。名古屋です」荷物を棚に上げた途端だったので、あわてて荷物をおろしてしまった。揺れなくて、早くて、快適な乗り心地。スーッと、眠ってしまった。ハッと目覚めると、湖。「しまった、寝過ごして、琵琶湖まで来ちゃった。もうすぐ京都だ。事件」と大慌て。母が大笑いで「マコチン、浜名湖だよ」これ以降、通勤電車のごとく、あきれる程東海道新幹線に乗っているが、どんなに居眠りしていても、必ず浜名湖で目を覚ましてしまう。乗り鉄子、よっぽどショックだったようだ。
『男の紋章』ラストシーンの撮影中のこと。岐阜市内に古い町並があり、人気の撮影スポットだ。丁度、まん真ん中あたりに電気屋さんがあり、カラーテレビで東京オリンピックの閉会式を中継していた。世界中の選手たちがワイワイと肩を組んで楽しそうに行進している。私、テレビにしがみ付いた。主演の高橋君(高橋英樹さん)が「まさこ、なにやってんだよ」無視、むし。監督さんもスタッフもあきれたが、無視、むし。ああ、ついに東京オリンピックは終わってしまった。
私、17歳の秋のこと。アレ、私の職業なんだっけ。アッ、女優だった。反省。じゃあ、またね。
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- 和泉 雅子
- 女優 冒険家
- 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。 - 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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